ペーパームーン




 生理の時、使い終わったナプキンを見るのが癖になった。高校三年生の時の話だ。
 保険体育の授業で、受精について習い、月経は使われなかった肉の布団――――受精卵の為に用意されるそれ――――を捨てる作業だと聞いた。血に混じる赤黒い肉片がそれ。
 運が良ければ――――確かに教師はそう言った――――白い粒を見つけることができる。それが卵子だと言われて、それ以来なんとなく真っ赤に染まった生理用品を一瞥するのが自分の癖になった。
 卵子を見たことはまだない。
 ただ、遺伝やら生物学やらそんな本やテレビ番組に触れる度、考えの片隅にその思い出が浮かぶことがある。
 女が毎月捨て去るたったひとつの細胞。
 その中には女自身を成長させるわけでも進化させるわけでもない、他の生き物、次の代に繋げる可能性が詰まっている。
 それを面白く感じる。そこを面白いと思う。
 本人の為に作られたわけではない細胞。
 次の世代の為に用意された“可能性を秘めた無限の卵”。
 それが自分の中に眠っている。
 遺伝子の舟という言葉を思い出すのは決まってこんな時で、先祖から続いてきた脈々とした血の流れを感じる。自分の代で滞留しているそれ。
 対になる精子を待ち侘びているそれ。
 堰を溢れ出さんばかりのそれが、今月も虚しく流れさって逝く。
 それを確認するのが癖になっている。


 わたしは子供を産まない。


 今日も産まれ害った不運な我が子を赤いナプキンの中に探す。
 それがわたしの癖だ。




***
どこかでペーパームーンを生理用ナプキンの隠語だと聞いたので。
卵子が見つかる云々は実際、高校の保健体育の授業で聞いた。





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