夢を売る店 1




「初めまして、お嬢さん」
 学校からの帰り道、男の人があたしに声をかけてきた。
 変な格好の男の人だ。黒いシルクハットと丸い小さな黒いメガネ。テレビのマジシャンみたいに上がパリッとしてる黒い服、下はたてじまシマシマの膨らんだズボン。
 へんしつしゃだ。
 お母さんが言ってたもの。変な格好の人が学校の帰りに声をかけてきても付いて行っちゃいけませんって。
 先生はみためで人を判断していじめをしてはいけませんって言うけど。
「あなた誰?」
 いちおう聞いてみる。
 もしかしたら道に迷っている人かもしれないから。そうしたら道を教えてあげなくちゃいけないのだ。困っている人がいたら助けなさいって、お母さんも先生も言うもの。
「わたくしはバクと申します。しがない商売人の一人にて、お嬢さんのような心に深い悲しみをもったかたと取引をさせていただいております」
 話が難しくてよくわからない。口を尖らせてバクを見た。バクはにっこり笑ってすこししゃがんだ。
「お嬢さんがお持ちの『悲しい気持ち』を頂きたいのです。もちろん、代わりにお嬢さんの欲しいものを差し上げますから」
「……かなしいきもち……?」
 繰り返したとたん、今日学校であったことを思い出した。
 あたしはマナミちゃんとカイくんと、いつも3人で遊んでる。あたしはマナミちゃんもカイくんも大好き。それで、あたしがカイくんを好きだよって言ったら、カイくんはマナミちゃんを好きだと言った。マナミちゃんもカイくんが好きだって言った。
 すごくショックだった。だって仲良しなのに。いっつも3人なのに。みんなの前で泣くのは恥ずかしかったから、トイレって言って教室を出て、トイレで泣いた。
 マナミちゃんにカイくんを、カイくんにマナミちゃんを取られちゃった。あたしは知ってる。しつれんって言うんだ、こういうの。
「かなしいきもちがなくなるの?」
「ええ」
 と頷いたバクはとても嬉しそうだった。
「もちろん、ただでとは申しません。何でも好きなものを差し上げます。わたくしの仕事は店を切り盛りすることなのですよ」
「それじゃぁね、たのしいきもちがほしいな」
 いっつもマナミちゃんやカイくんと遊んでるときみたいな、そんなときのきもち。今日は全然たのしくなかった。
「わかりました。それでは、お嬢さまにはむかし滅びた国の王様がわたくしにお売りになった『楽しい気持ち』をお買い上げいただきましょう。日がな一日、ただただ楽しく遊び暮らせるようになりますから」
 にっこりバクは笑った。
 言っていることは難しくてよくわからなかったけど、毎日楽しいならそれでいいや。
「明日の朝をお楽しみに。きっと良い買い物をされたとご満足いただけるでしょう」


「いってきま〜す」
「はいはいいってらっしゃい! ヨリ、車に気をつけるのよ!」
「わかってるーっ」
 学校に遅刻ぎりぎりだ。だってあんまりたのしい夢を見てたから、起きるのがもったいなかったんだもん。
 それにご飯だってちゃんと食べたかったし、お母さんはものすごく時計を見てたけどぜんぜん気にならなかった。
 学校なんか遅刻しちゃったっていいよ。だって怒られたってぜんぜん悲しくなんかなったりしないもん。
 バクに会った次の日から、ずっとたのしいきもち。マナミちゃんに会っても、カイくんに会っても、ふたりが仲良くしててもすっごくたのしい。
 あさ起きてから寝るまで全然悲しくなんかなったりしない。
 なんて素敵なんだろう!
 勉強してるときも楽しくてくすくす笑ってしまう。先生に怒られることが増えたけど、それもぜんぜん気にならない。だってたのしいんだもの。
 このまえのテストがぜんぜんわからなくて0点とっちゃったけど、それでもいいんだ、だっていまがたのしいんだから。
 いまさえ楽しければそれでいいよ。



「ヨリちゃん、テスト大丈夫?」
 マナミちゃんに聞かれて、あたしはうんと頷いた。
「テストなんか何点だっていいよ」
 そう答えたら不安そうな顔が泣きそうになる。どうしたんだろう?
「ごめんね」
「なにが?」
 ありがとうって言いたいくらいなのに。だってあの時悲しい気持ちにならなかったらバクには会えなかったし、こうして毎日楽しく暮らせなかったもの。
「カイくんのこと、好きだって言って」
「そんなのもうどうでもいいよ。どうしたの?」
「ヨリちゃんが無理してるの見ると、すごくかなしい」
 くしゃくしゃの顔をしてマナミちゃんは泣き出した。あれ、どうして泣くの。あたしはこんなにたのしい気持ちなのに。ぜんぜん無理なんかしてないよ、だってかなしいきもちはバクに売っちゃってもうないんだもん。
「マナミちゃん、元気出してよ」
 それでもマナミちゃんは泣きやんでくれない。
 あれ、あれ、おかしいな。マナミちゃんが泣いたら胸が苦しい。
 かなしいきもちはバクに売っちゃったはずなのに。
 なんだか目が熱くて痛い。まばたきしたらなみだがこぼれた。

 そうしたらおかしいの、もうあたしにはないはずなのにかなしいきもちがわーっと押し寄せてきた。













「……あれ、返品? やれやれ、また失敗したみたいだなぁ」
 くるくると、バクの掌で楽しげに光が踊る。
「楽しい気持ちなんか美味しくないから、はやく誰かと交換したいのに……」








inserted by FC2 system